繋がっていく?
今日は遅く起きたにもかかわらず生産性は高い。
なによりもアポ取りが効率的に進んでいる。
これもすべて祖父のおかげではある。
祖父の会社時代の同期や弟さんと会う予定が立った。
集団で乗り込んで自分たちを売り込んで実際に上に立つ。
そんなやり方で社会を見続けてきた人たち、それもかなり上のレベルで見続けてきた人たちと会えるのは幸運でしかない。
しかしこの機会は、待っててやってくるものではなく、祖父の熱量が注がれた結果だということは痛感している。
その目的も、なんとなく察しながら、ぼくの憧れるひとが当たり前にやってきたことのなかに身を投じた。
そう。
去年に引き続き、夏は演奏会がある。
今年の市もまた遠いが、そこの市長さんの親は、ぼくの祖父が青春時代を過ごした学生寮の先生だったという。
実は、こうしていろんなものは繋がっているんだ。
気づこうとしなければ、気づかない。
繋ごうとしなければ、繋がらない。
過去の点を、現在に生きる人がつなげていく。
ザッカーバーグがいったように、なにが線になるかはわからないし、
もともと線になっているわけでもない。
線を作ることを目指すのもいいが、
祖父の学生時代のように、我憤ではなく公憤のほうがいいように、なにか大切な心の上に、線ができたらいいなと思う。