あしたに備えて

明日はRENTのミュージカルを観るので、それに備えて映画版RENTを観終わったところだ。

1989年のNYが舞台だなんて信じられない。

HIVなんてどこか別の世界の病気に感じるし、異性愛が日常にある景色を見たこともない。

そして、こう言っては何だが、いまよりも進んでいるとしか思えない。

 

死が、いまよりももっと身近に在ったことは確かだろう。

そして、それは大きな差だ。

NO DAY BUT TODAYなんて言えるのは、うらやましい。

過去を見つめて、わけもわからず将来を見つめて、なんとか平和に生きていこうとするあまりに、やるべきことに死にもの狂いにもなれない。

今日以外にない?おかしい。現状はやはりおかしい。

 

未来のしあわせのために頑張ることで、行動を起こすことで、ぼくは確かに成長していると思う。けど、押しつぶしてしまったぼくもいる。

あるべき姿を浮き彫りにすることで、昨日の思い出も、今日のふるまいもすべてがそれに収束していく。

ちがう。もっと観測できない情報であふれていたはずだ。だからこそ、衝動的にひとに感情を伝えることができて、その人間味がだいすきだった。

それがどうしたことか。

不満がある。人に会おうとしない自分への不満。

会うことが、人数が目的ではない。しかし、以前よりも愛に鈍感になったと思う。

どうしたんだろう。

物欲も以前よりない。その理由は恐らく、やるべきことを認識して、それを頭の片隅に入れて生きているからだ。

要するに7月25日くらいまでは人間性みたいのは失われるのかもしれない。

そこを乗り越えない自分が想定できないから、どうにか成功させるためにぼくの潜在意識があらゆる欲をなくしてくれているのかもしれない。

あり得る仮説だ。つまり、割り切るべきなのだ。死にもの狂いになってもいいよ、と心が言っている。そのための環境も作ってくれている。

無理して愛するな。お前は、いまは別のものに集中していいんだ。

7月25日だけを見据えろ。

茫然自失から1年、状況は違うだろう。

いまは、あの時よりも頑張れる。ただ、あの時よりもあの子がそばにいない。

まぁ、あの子がいても勉強するフリだから、意味はないけどさ。

きっとぼくも寂しいんだよ。あの子の話が、すこしつまらなく聞こえるのは、おそらく自分と過ごす時間が短いからだ。共に過ごす時間というのは、極めて大事で、それが失われるということは、より大事ななにかがあるということ。

それは認めるべきだと思うし、異論はないけど、つまらないことは確かだ。

そうだ。きっとぼくらは二人とも、どんどんつまらなくなっている。

社会の枠、なんて無い物にはまろうとして、どうにかなってしまっている。

 

なんて言ったっけ。ゴミ問題?いやいや。

そんなのさ、働いてる人も思ってないでしょ。行動に移してないじゃん。

それっぽいことばっかいいやがって。聞いてるこっちの身にもなれ。

おれは面接官じゃないんだから、くだらない話を、うわべだけの妄言を吐くなよ。

中学生の妄想日記と同じだ。人前で自慰なんてしないだろう。

思想に価値はない。行動に価値がある。そう思うよ。

思想をぺらぺらしゃべるやつは嫌いなんだ。そんな暇があったら行動で示せることがたくさんあっただろうに、でもそいつはしゃべることを選んだ。なんで?簡単だし、本心でもないからさ。それはね、プライベートで見せるべきペルソナではないんだ。

せっかくの自分を型にハメて、くっだらないよな。もっとあるだろ側面が。

 

という風に、きっとぼくはいまのあの子は好きじゃない。

でも知ってる。もっと素敵な子なんだよ、前はそうだったからね。

戻るかどうかだ。戻らないなら、戻せない。

 

なんということだ。自分を好きになれないやつが、ひとを好きになれないって言ってるぜ。

当たり前だ。散々知ってることなのにな。うーん。RENTでも聞いた、最後のほう。

 

いまの自分を好きになれないのも事実だし、

いまのあの子を好きになれないのも事実だな。

 

なかなかに、迷走してるでしょ。