切り替え、どうする?

簡単な例をあげよう。

 

赤ちゃんをあやすときと、

SoCのレポートやるときは、そりゃ自分の別の側面が現れる。

 

けどさ、意識的に行えてるか。

たとえば、人と遊ぶときはぱーっと楽しむスイッチを入れるべきだ。

ていうか、そうじゃないと自分が不幸だから、そうしないと。

でも、レポートやったり、問題集解いてるときは、目の前の課題に集中して効率よくさばいていく必要があるから、情報収集スイッチは切断するべきだ。よくいう、過集中モードに入れるといい。

 

ここで、ぼくの課題の進め方を振り返ると、常時ゆったりマイペースで「どうしたらいいだろう?本当にこれでいいのか?」というWhyスイッチが入りっぱなしなことがわかる。

それは、まぁ哲学スイッチとでも呼ぶか、わりと最近入りっぱなしだよね。

無駄な考え、は多いと思う。だって、書面に起こしてないから想起するときに0から積み上げていく必要がある。結局のところ、ハウツー本鵜呑みのなにがいいって、理想の脳内状況を一瞬でひっぱりだせるところだ。プロセス無視で必殺技だせるんだから、採用するべきでしょ。

ぼくは自分の思想をもう少し固めたほうがいい。固めていくべきだ。

それはなにも、液体のぼくを無視しろという話ではない。

基本的に液状の自分を、固体として保存し続けるのだ。そうすることで、必要なときに取り出しやすくなる。

そういった点で、このblogには意味があるし、ひとに話すという行為にも意味が生まれる。気を付けるべきは、素直に、書くこと。

 

嘘を書いたら、それも固体として残ってしまうから。そんなことは避けよう。