評価者として介在価値を得る。
これはあんまりやってこなかった。
というのも、人への評価をさも正しそうに語る鈴木が嫌いだからだ。
まぁ鈴木に限らず、教祖系の喋り馬はこの傾向にあると思う。
むしろこの傾向がない控えめな喋り馬っているのか。自己認識ガバガバだから喋りまくるんでしょ。
でも、自分が感じたことを発信するのは、悪いことじゃない。
というかさ、誰だって誰かに反応してほしいんだ。
すれ違ったら会釈でも、なんでもしてほしいんだ。無視はイヤだよね。するほうも、されるほうも。
それが、承認欲求の、いっちゃん最初だから、発信していいんだよ。
自分の日常を無理に語る必要はない。
見て、触れて、感じたことを素直に吐け。人に向かって吐け。
それを見たひとがまたなにかを感じる。そうやって感情は連鎖する。
誰かを承認することが、ぼくの武器だ。
承認されるのは得意じゃない。きっと、仕方ない。
生まれ持ったのは決してモテるビジュアルでも声でもない。
有象無象かもしれない。けど、有象無象からでも承認されたらうれしい。
わかってるはずだ。一度プラスになったら、失うのは怖いんだ。
モテるひとは違うかもしれないが、違わないかもしれないだろう。
フィードバックはいらない。まずは自分がフィードバックすること。
フィードバッカーになるんだ。