切り替え、どうする?

簡単な例をあげよう。

 

赤ちゃんをあやすときと、

SoCのレポートやるときは、そりゃ自分の別の側面が現れる。

 

けどさ、意識的に行えてるか。

たとえば、人と遊ぶときはぱーっと楽しむスイッチを入れるべきだ。

ていうか、そうじゃないと自分が不幸だから、そうしないと。

でも、レポートやったり、問題集解いてるときは、目の前の課題に集中して効率よくさばいていく必要があるから、情報収集スイッチは切断するべきだ。よくいう、過集中モードに入れるといい。

 

ここで、ぼくの課題の進め方を振り返ると、常時ゆったりマイペースで「どうしたらいいだろう?本当にこれでいいのか?」というWhyスイッチが入りっぱなしなことがわかる。

それは、まぁ哲学スイッチとでも呼ぶか、わりと最近入りっぱなしだよね。

無駄な考え、は多いと思う。だって、書面に起こしてないから想起するときに0から積み上げていく必要がある。結局のところ、ハウツー本鵜呑みのなにがいいって、理想の脳内状況を一瞬でひっぱりだせるところだ。プロセス無視で必殺技だせるんだから、採用するべきでしょ。

ぼくは自分の思想をもう少し固めたほうがいい。固めていくべきだ。

それはなにも、液体のぼくを無視しろという話ではない。

基本的に液状の自分を、固体として保存し続けるのだ。そうすることで、必要なときに取り出しやすくなる。

そういった点で、このblogには意味があるし、ひとに話すという行為にも意味が生まれる。気を付けるべきは、素直に、書くこと。

 

嘘を書いたら、それも固体として残ってしまうから。そんなことは避けよう。

あしたに備えて

明日はRENTのミュージカルを観るので、それに備えて映画版RENTを観終わったところだ。

1989年のNYが舞台だなんて信じられない。

HIVなんてどこか別の世界の病気に感じるし、異性愛が日常にある景色を見たこともない。

そして、こう言っては何だが、いまよりも進んでいるとしか思えない。

 

死が、いまよりももっと身近に在ったことは確かだろう。

そして、それは大きな差だ。

NO DAY BUT TODAYなんて言えるのは、うらやましい。

過去を見つめて、わけもわからず将来を見つめて、なんとか平和に生きていこうとするあまりに、やるべきことに死にもの狂いにもなれない。

今日以外にない?おかしい。現状はやはりおかしい。

 

未来のしあわせのために頑張ることで、行動を起こすことで、ぼくは確かに成長していると思う。けど、押しつぶしてしまったぼくもいる。

あるべき姿を浮き彫りにすることで、昨日の思い出も、今日のふるまいもすべてがそれに収束していく。

ちがう。もっと観測できない情報であふれていたはずだ。だからこそ、衝動的にひとに感情を伝えることができて、その人間味がだいすきだった。

それがどうしたことか。

不満がある。人に会おうとしない自分への不満。

会うことが、人数が目的ではない。しかし、以前よりも愛に鈍感になったと思う。

どうしたんだろう。

物欲も以前よりない。その理由は恐らく、やるべきことを認識して、それを頭の片隅に入れて生きているからだ。

要するに7月25日くらいまでは人間性みたいのは失われるのかもしれない。

そこを乗り越えない自分が想定できないから、どうにか成功させるためにぼくの潜在意識があらゆる欲をなくしてくれているのかもしれない。

あり得る仮説だ。つまり、割り切るべきなのだ。死にもの狂いになってもいいよ、と心が言っている。そのための環境も作ってくれている。

無理して愛するな。お前は、いまは別のものに集中していいんだ。

7月25日だけを見据えろ。

茫然自失から1年、状況は違うだろう。

いまは、あの時よりも頑張れる。ただ、あの時よりもあの子がそばにいない。

まぁ、あの子がいても勉強するフリだから、意味はないけどさ。

きっとぼくも寂しいんだよ。あの子の話が、すこしつまらなく聞こえるのは、おそらく自分と過ごす時間が短いからだ。共に過ごす時間というのは、極めて大事で、それが失われるということは、より大事ななにかがあるということ。

それは認めるべきだと思うし、異論はないけど、つまらないことは確かだ。

そうだ。きっとぼくらは二人とも、どんどんつまらなくなっている。

社会の枠、なんて無い物にはまろうとして、どうにかなってしまっている。

 

なんて言ったっけ。ゴミ問題?いやいや。

そんなのさ、働いてる人も思ってないでしょ。行動に移してないじゃん。

それっぽいことばっかいいやがって。聞いてるこっちの身にもなれ。

おれは面接官じゃないんだから、くだらない話を、うわべだけの妄言を吐くなよ。

中学生の妄想日記と同じだ。人前で自慰なんてしないだろう。

思想に価値はない。行動に価値がある。そう思うよ。

思想をぺらぺらしゃべるやつは嫌いなんだ。そんな暇があったら行動で示せることがたくさんあっただろうに、でもそいつはしゃべることを選んだ。なんで?簡単だし、本心でもないからさ。それはね、プライベートで見せるべきペルソナではないんだ。

せっかくの自分を型にハメて、くっだらないよな。もっとあるだろ側面が。

 

という風に、きっとぼくはいまのあの子は好きじゃない。

でも知ってる。もっと素敵な子なんだよ、前はそうだったからね。

戻るかどうかだ。戻らないなら、戻せない。

 

なんということだ。自分を好きになれないやつが、ひとを好きになれないって言ってるぜ。

当たり前だ。散々知ってることなのにな。うーん。RENTでも聞いた、最後のほう。

 

いまの自分を好きになれないのも事実だし、

いまのあの子を好きになれないのも事実だな。

 

なかなかに、迷走してるでしょ。

繋がっていく?

今日は遅く起きたにもかかわらず生産性は高い。

 

なによりもアポ取りが効率的に進んでいる。

これもすべて祖父のおかげではある。

 

祖父の会社時代の同期や弟さんと会う予定が立った。

集団で乗り込んで自分たちを売り込んで実際に上に立つ。

そんなやり方で社会を見続けてきた人たち、それもかなり上のレベルで見続けてきた人たちと会えるのは幸運でしかない。

しかしこの機会は、待っててやってくるものではなく、祖父の熱量が注がれた結果だということは痛感している。

その目的も、なんとなく察しながら、ぼくの憧れるひとが当たり前にやってきたことのなかに身を投じた。

 

そう。

去年に引き続き、夏は演奏会がある。

今年の市もまた遠いが、そこの市長さんの親は、ぼくの祖父が青春時代を過ごした学生寮の先生だったという。

実は、こうしていろんなものは繋がっているんだ。

気づこうとしなければ、気づかない。

繋ごうとしなければ、繋がらない。

 

過去の点を、現在に生きる人がつなげていく。

ザッカーバーグがいったように、なにが線になるかはわからないし、

もともと線になっているわけでもない。

線を作ることを目指すのもいいが、

祖父の学生時代のように、我憤ではなく公憤のほうがいいように、なにか大切な心の上に、線ができたらいいなと思う。

今がピークかもしれないから。

父が応援してくれている。

昔から自由にやらせてくれる人だったけど、

今回は恐らく、夢を応援する気持ち以外にも嬉しい部分があるんだと思う。

 

実際、珍しいタイプだ。

典型的な職人一家で育ったからコミュニケーションに難はあるが、

極めて論理的に、リスクヘッジをしている(ように見える)し、困窮を表に出さず、大黒柱を務めあげている。

最近は、変化を感じる。

大事な人を、ここ何年かで失っているからか。

前は、すこし近寄りがたく、本音を言えない相手だった。

権力をもっていて、主張が一方的で、暴君であった。

 

変化は、いい方向に転がっている。

ぼくが無理をしなくても、素直に話していれば居心地のいい雰囲気が生まれる。

それは、ぼく自身が自立したことも影響しているだろう。

自立したうえで、対話ができている。未来を見ている。

両親がじぶんのことを頭ごなしに否定することもなく、尊重してくれている。

恵まれていると思う。形は違うが、両親は子育てにおいてベストを尽くしてくれている。

生活の基盤を支える父と、幸せに生きるための人格形成を手伝ってくれる母。

 

母と父の溝は深刻で、恐らくいつかは違う道を歩いたほうがいいとさえ思う。

そのほうが簡単だと、思う。

だけど、もしできるなら、共存できる人間を目指してほしい。

 

 

そう、今がピークかもしれない。

失敗したら、崩壊が近づいてしまう。それが怖い。

ぼくは、ムードメイカーではない。作ることはできない。

あくまで、調整役。もともとの雰囲気が、温和である必要がある。

不甲斐ないが、ぼくはムードに負けちゃいけないな。

勝てないけど、抗うことに意味はある。そういう風にやってきた。

 

さて、なにが起きてもいいように、後悔しないように頑張ろうよ。

わかったかも

わかったかもしれない。

勉強がはかどらない理由。

前のエントリで明らかになったのは、ぼくは自己認識を実際の自分より上方修正しているということ。

誇張するスキルは必要だけど、認識はフラットである必要がある。

そうか、若干プライドが高いかもしれないと思ってたけど、つまりそういうことなのか。

 

簡潔に述べると、

ぼくは自分がちょっと勉強できると思ってるけど、

全然そんなことねーよってことだ。

 

だから、いざ問題を解こうとすると想像してるより解けなくて、理解できなくてイライラする。理想とのギャップに苦しむ。

これ、いくら試行回数を増やしてもあんまりよくない。

できないことが現れるたびに心を折られてるわけだから、そりゃ続かないわけだ。

勉強できないんだから、躓くのも当然だよ。

わからないときは飛ばしてもいいし、検索してもいいし、だれかに相談してもいいんだよ。

自分を責める必要もないし、問題を責める必要もない。

できないものはできないよ。

予想よりはやく解けなくても仕方ないよ。ぼくは思ったより勉強できないもん。

 

頭はそんなに悪くないけど、でもスピードは遅いよね。

ゆっくり、のんびり、質は高め、でもミスもする。そういうタイプじゃん。

 

てきぱきしようなんて、まずムリなんだって笑

だから、てきぱきできなくてもしょぼくれないでさ。

ゆーったり、まーったり進めていこうよ。カタツムリとかカメとかなのさ。

塩は避けて、あるいていこうよ。

目的地が遠いなら、やっぱり歩き続けるほかない。

自分がカタツムリ/カメだということ、忘れないでね。

 

自分のことうさぎさんだと思ってたから、それこそ昼寝してたよね。

いままでぼくは、昼寝するカメだったわけ。うーん。つらい。

 

ぼくだって

ぼくだってなりたいですよ。

多くの人に愛されて、必要とされて、必死に生きている姿がカッコいい人間に。

 

でもぼくはそっち側の人間じゃないんです。

多くの人を愛して、必要として、平凡に生きながら頑張ってる人のサポートをする人間です。

 

決して、映画や小説や漫画で主人公をやれるタマじゃねぇ。

かといって、ライバルでも、カッコよく死んでいく脇役でもない。

 

でも幸せになりたい。幸せにしたい。

じぶんのまわりのひとが、ぼくと一緒にいたいと思えるような存在になりたい。

なのに、できない。

どうしても、相手の気持ちに寄り添えず、正しいことはこうだと言ってしまいたくなる。

相手の気持ちがくみ取れないわけじゃない。

けど、現状打破の方法を伝えたくなる。ぼくが出したアイデアで相手を変えたいと思ってしまう。ぼくはすごいんだと、思ってほしくなる。

 

ああ、ぼくは「こいつはすごいぞ」という承認を得たいのか。

そりゃ、愛されるわけないよ。必要とされないよ。

「ぼくはひとと違う」って思いたいんだろうか。中二病、終わってないな。

思想はそれぞれ違う。でも同じ人間で、日本人で、チームメイトだったりする。

括られるのがイヤ、という気持ちを「斜に構えてる」と切り捨てた彼は正しい。

「ぼくはひとと違う」って思ってたらどうしても、溝はなくならないんだ。

そりゃ中身は違うけど、同じところにいる。そう思う必要があるんだ。

溝はなくて、同じフィールドに、異なる存在があるという認識か。

 

前提として、絶対的に、ぼくはすごい人間ではない。

すごい人間になりたいわけでもない。

なのに、すごい人間だと思われたいようだ。

それは恐らく、相手から見た自分像が「たいしたことない人間」であることを知っているからだ。

だから、その像よりは、相対的にすごくなりたい。

すると、本当の自分から離れて行って、結局はぼく自身がいなくなってしまう。

 

ぼくの、実際の人間力が3だとする。

他者は、ぼくの人間力を2だと思っている。

そこで、ぼくは4の人間力を持つと言葉で虚勢を張る。

他者は、ぼくの人間力を4だと認識する。

しかし、実際の人間力とのギャップが原因で、ぼくのふるまいに違和感を感じる。

これじゃあ、本能的に信用できないよな。

 

まず虚勢を張るのをやめよう。

自分のできること、できないことを客観的に認識して、それを隠さず話そう。

そのうえで、勝手にそれ以上の存在に思われたらうれしい。

ほんとはそんなことないよ?という気持ちを持っていたい。

かな?わからないけど、虚勢はるのやめよう。いいことないや。

ノートパソコンが降ってこい、という話か。

なんか....   

隙間時間をひたすらゴミ箱に捨てている。

言い訳すると、そういう隙間時間、そもそも生産的に使えないと感じている。

 

生産性とはつまり、タスク(必須事項)の達成度である。

 

ここでタスクの種類を必須手段でわけると、

①紙ベース(回路/メモ)

②PCベース(Office/比較検討)

スマホベース(スケジュール/家計簿)

の3通りが考えられる。

 

このうち、

紙ベースのタスクの進捗が出ないのが最大の課題である。

というわけで、深堀りしてみよう。

 

紙ベースのタスクを実行するには?

現状分析:

①心構え、モチベーションがあること。

②スペースがあること。

③気が散る要素がないこと。

 の3点が揃ったときのみ、タスクを実行できている。

 

まず①の要素は、達成されている。充分な危機感を抱いているからだ。

ならば問題は②③である。

現状、モスにいくことで解決しているが頻度が少ない。

頻度が少ない理由としては、モチベーションが著しく高くなった時だけモスに入っているからだ。

つまり、モチベーションの影響を受けずに日常的に実行するには

紙ベースタスクは「予定」として、場所と時間を定めるといいだろう。

しかし、これも危ない。「やっぱやめた」がまかり通ってしまうからだ。

環境準備にコストがかかっているのも影響しているので、

①資金を貰い、レシートを保管して提出することがモチベーションにつながるかもしれない。

②講義のように時間を設定して、それを事前に伝えておくのもいい。

③無料のスペースを有効利用するのも選択肢としては強い。

 Ex)大学に行く予定があるなら、知るカフェに行く。

 

ベースごとの実行難易度を知る。  

一概にタスクといえど、手段が変われば実行の難易度が変わる。

たとえばスマホベースタスクはどこでもできるのに対して、

紙ベースタスクはカフェなどの落ち着いた雰囲気かつ机のある環境が必須であり、

PCベースタスクはそもそも家か大学に限られてしまう。

つまり、

家ではPCベースタスクを優先するべきだし

移動中はスマホベースタスクを優先するべきだし、

ほかの隙間時間は紙ベースタスクを優先するべきなのだ。

 

 

ノートPCを買うと...   

実行難易度と優先順位が変わる。

つまり、外出先でもPCベースタスクを実行できるようになるため、

家で紙ベースタスクをする余裕が生まれる可能性がある。

が、外出中の隙間時間は紙ベースタスクが実行可能な稀有な時間帯だから難しい。

PCによってその時間を喰われても本末転倒というわけだ。うーむ。

ひとまずは、家にいるときにPCベースタスクを消化することに専念しよう。